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『真田丸』第37話「信之」/兄の必死の命乞い。家康の真の狙いとは…。

徳川軍を破り、勝利の歓喜に沸く上田城に佐助からもたらされた、衝撃の知らせ。

それはたった1日も持たずして、石田三成率いる西軍が徳川家康率いる東軍に大敗した、という知らせだった。

前回の記事>>『真田丸』第36話「勝負」/戦の中で輝く昌幸。意外すぎる関ヶ原の戦いの結末を佐助がもたらす。

『真田丸』第37回感想

石田方についた真田昌幸と信繁は今後、果たしてどうなるのか?という第37回です。

石田三成が負けたのだから、これ以上戦を続ける意味はないと考え、降伏を勧める信繁に対し、あくまでも降伏をしないという昌幸。

真田は徳川軍に勝ったのだから、なぜ頭を下げなければならぬのかと言い、残っている秀忠軍を片づけるための戦いを続けようとしていた。

そこにさらに佐助からの続報がもたらされる。

それは徳川家康が大阪城に入り、石田三成もすでに虜となったという知らせだった。大阪には徳川の兵が溢れているという。

「もはやこれまで。勝敗は決しました。これ以上の戦いは無駄でございます。」

だが、昌幸はまだまだ諦めきれない様子。

「まだ上杉がおる!上杉と謀って、江戸を押さえる。」

と、言うものの、それが無理なことくらい昌幸にもわかっていた。

「あとは兄上に任せましょう。」

信繁の言葉が正しい。

それがわかっていても悔しくて堪らない昌幸はその場に座り込み、何度も床にこぶしを打ち付けた。何度も何度も…。かなり本気で力いっぱい打ち付けていたので、痛かったはず。

しかし、痛そうな顔は一切見せず、歯を食いしばり睨み付けるような表情で、ただ床を打ち続けていました。

あぁ、前回あれほど戦の中で生き生きとしていた昌幸が…。このギャップが本当に辛いです。

信幸を通じ、真田は降伏を申し出、上田城に使者がやってくる。

使者はかつて、信繁とともに秀吉の馬廻衆を勤めた平野長泰、そして平野に伴われた三十郎だった。

平野長泰って、実在の人だったんですね^^;

お笑い担当っぽい役どころだったから、架空のキャラクターだと思っていました。確認しますと関ヶ原の戦いの陣営の中に、確かに平野長泰の名前がありました。

そして、降伏の条件が記された書状を読み上げてゆくのは三十郎。

辛い、辛い役目ですが、必死に感情を抑えて、辛い内容を読み上げてゆく様子が痛々しかったです…。

必死の命乞い、家康が下した厳しい命令。

父と弟の命を救おうと、徳川家康に命乞いをするため大阪城に向おうとする信幸の前に現れたのは義父・本多忠勝だった。

親を想う気持ちはわかるが、親であっても敵は敵。

いったんは引き留めようとした本多忠勝に対して、信幸はきっぱりと言い切る。

「敵味方に別れても親子でござる。兄弟でござる。私は真田昌幸の嫡男。父の命を救うのは子の勤めでござる。」

“日本一怖い舅”として、あんなに怖がっていた本多忠勝相手にしても、こんなにも強くきっぱりと言い切れる。信幸自身が成長したことももちろんありますが、それに何より、父と弟を想う気持ちの強さが感じられました。

そしてその思いに打たれた本多忠勝が意外なことを言いだします。

「私もともにいく。親を想う心はあっぱれじゃ。」

大阪から来たばかりなのに、取って返し、信幸とともに大阪城に行き、家康に一緒に頼んでくれると言う。父と弟に比べれば地味で影の薄くなりがちな信幸だったけれど、誠実で堅実な人柄は、娘を溺愛しいつも厳しかった義父にもいつのまにか認められていたのです。

大阪城についた信幸と本多忠勝。

しかし、家康の怒りは大きかった。

「親子ともども死んでもらう。」

家康は二人に死罪を申しつけるつもりだった。が、ここで本多忠勝が強く助命を訴えます。

「某に免じてどうかお助けください。一世一代の無理を申し上げます。」

「これより婿殿と上田城に立てこもり、徳川の兵を戦い討死いたす。」

「平八郎は本気でござる!」

今まで一度も、家康に逆らったことのなかった本多忠勝が生まれて初めて家康に逆らった瞬間でした。

自分の命を懸けて、忠勝は家康に嘆願してくれたのです。

その姿に驚き、そして強く感謝を感じながら信幸も深々と頭を下げる。

家康は驚いて本多忠勝を見つめた後、笑って言った。

「命までは取らぬ。平八郎にそこまで言われては仕方ない。」

家康の言葉に安堵して、頭を下げる信幸。

しかし、家康からは厳しい言葉が告げられる。

「その代り、父と縁を切れ。」

一瞬、その表情を強張らせながらも、「かしこまりました。」と受け入れる信幸にさらに家康は厳しい命令を下す。

「幸の字を捨てよ。」

父、昌幸から受け継いだ信幸の「幸」の字を捨てよ、というのだった。

名前というのは、アイデンティティーの表れ。ましてや、父から受け継いだ名前。嫡男としての意味も込められていたに違いない。

昌幸自身もその父・幸隆から受け継いだその名前には、今の時代の感覚よりも、もっともっと大きな意味があったのだろうなと想像がつく。

それを捨てよと言われ、信幸も予想をしていなかったのか、あまりのことに言葉に詰まり、湧き上がる感情で顔をゆがめながらも、信幸は受け入れた。受け入れざるを得なかった。

大切なのは父と弟の命を救うこと。

それに比べれば、父と縁を切ることも、名前を変えることも、自分のプライドを捨てることも厭わない。

「かしこまりました。」

さまざまな思いを飲み込んで、家康に信幸は頭を下げた。そして家康が立ち去ると、今度は義父に礼を言って頭を下げた。

戦国の世の倣いとは言え、親子で敵味方。

勝っても負けても辛いです…。

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親子の対面、そして上田との別れ。

上田城に信幸が訪れ、家康から下った沙汰を伝える。

領地はすべて召し上げ、昌幸と信繁は高野山のふもと、九度山に流罪となった、と。

「この役立たずが!何のために徳川についた!」

厳しい内容に思わず、そう信幸を責めた昌幸だけれど、信繁に宥められ、すぐに信幸に謝る。

「すまん。言いすぎた。」

信幸は怒ることもせず今後も力を尽くしてゆくので、どうか許してほしいと言うのでした。

昌幸も必死で守って手に入れてきた領地なので、それを召し上げられるのは本当に悔しかったことでしょう。だから思わず出てしまった言葉だけど、でも命を救うために信幸が奔走しれくれたこともよくわかっていて。

そして領地を召し上げられた父の悔しさを信幸もわかっていて。息子がわかってくれていることを父もちゃんと理解している。

全員がそれぞれの立場で苦しい想いを抱えていました。

そして、家臣たちとも別れの時がやってきます。

昌幸の娘、まつの夫である小山田茂政は、上田に残り、城を受け渡した後、そのまま信幸の家臣になることに…。

堀田作兵衛は村に帰ることに。

作兵衛には信繁と梅の娘、すえを信濃のおなごとして育てて欲しいから。

高梨内記はもう若くはないので、身の振り方は己で決めろと言われますが、死ぬまでそばにいるつもりだと、九度山に同行することに。

昌幸は家臣たちを前にして言います。

「これは永久の別れではない。いずれ会える日を楽しみにしておる。」

「では、おのおの抜かりなく。」

出浦殿、再登場!

家康暗殺に失敗し、重傷を負った出浦殿。

現在でも自力では起き上がることもできない寝たきりの状態だったが、そばに昌幸がやってくるとすぐに気づく。そして佐助の力を借りて起き上がろうとさえするのでした。

「おぬしは源三郎に託した。沼田で養生せよ。」

そういう昌幸に、もう声も出せない出浦は佐助を通じて昌幸に「あること」を伝える。

それは大阪城の弱点と、それを利用した家康を討つための策だった。

寝たきりで声も出せない状況でも、出浦は諦めてなかった。身体は弱っていても、目の輝きはかつてのまま。

きらきらと強い光を宿した眼差しで、昌幸を見つめた。昌幸に天下を取らせたい。

その思いは今も出浦の胸の中に熱く燃えているのです…。

そんな出浦殿の想いを、十分すぎるほどにわかっている昌幸は彼の手を握り締め、こういうのでした。

「あいわかった。」

そして、翌朝。

上田城を去る日。とても寒い日で雪がちらちらと舞っていました。

家臣たちは無言で深々と昌幸に頭を下げる姿に、涙…。

信幸は上田城を受け取り、9万5000石の大名になりました。

名前は「信之」と改める。

漢字は変えても読みは変えない。それが信之の意地でした。

家康との対面。

昌幸親子は高野山に向かう途中、家康に呼ばれて大阪城に立ち寄ります。

そして家康と対面するのですが、家康の嫌な人モードが全開でした!

「そなたたちを儂は打ち首にすることもできた。それをしなかったのはなぜだと思う?」

信之と本多忠勝が命乞いをしてくれたからでは、という昌幸に対し、家康は。

「果たしてそうかな。賢い次男坊はどう思う?」

「死よりも苦しい仕打ちを与えようとされてるのでは。」

一切の表情を消した信繁が、感情を消した静かな声でそう答える。

家康はその答えを聞くと、さも面白そうに言った。

「理不尽な思いをさらに膨らませてやる。」

「お主から一切の兵と馬と武具と金と城と、今後戦に出る一切の機会を奪う。」

「残りの人生を小さな村で過ごすのだ。お主は死ぬまでそこにおるのだ。」

立ち上がり、昌幸のそばに近寄り、上から見下ろしながら。

「この生き地獄、たっぷり味わうがよい。」

そう言って笑いながら去ってゆく家康。屈辱に震える昌幸に対し、信繁はどこまでも無表情だった…。

うわー!家康嫌な奴!!

大阪城の人々。

信繁の姿を見つけ、声を掛けてきた片桐且元から、信繁はいろいろな話を聞かされる。

関ヶ原の戦いは、石田三成が勝手に行ったことになっており、すべての責めを三成が負ったこと。そのおかげで多くのものが何とか命拾いをしたこと。宇喜多秀家の行方は、今もわからないままであること…。

北政所は…。

「これからは親孝行をしやあよ。」

「いつのまにか誰も身内がおらんようになってしまった。」

そういう政所に対し、信繁が「秀頼公がおられるではありませんか。」と。

しかし、政所は微妙な表情を浮かべるばかり。

秀頼は、秀吉の子だけれど、政所にとっては「身内」ていう意識はないんだね。

政所にとっては今の「豊臣家」っていうのは、それほど意味がない。あくまで秀吉がいて、そして昔から団結してやってきた者たちだけが「身内」

秀吉を支えることはしても、秀吉亡き後の豊臣家にはあまり興味がない様子。豊臣の今後のことを案じている様子もあまりないようだし。

そんな会話をしていると、政所の元に小早川秀秋がやってきます。

「あら、あの子をわすれとった。」

そう、秀秋も「身内」なんだよね。忘れられてるし^^;

秀秋を見て、硬い表情の且元。軽く会釈はしたものの、その後はまっすぐ前を向いたまま秀秋をちらっとも観ようとしない。

秀秋はそんな且元と、信繁の姿を見ると何も言わずに逃げ出してしまった。

政所が言うには、戦から戻ってきた後、誰にも会わずに何かに怯えているのだと言う。

「金吾様の裏切がなければ、石田治部が勝っていた。」

「ひそかに徳川と通じておられた。」

そう言った且元の苦々しい口調と声音に、秀秋に対する恨み、というかやりきれない思いが感じ取れました。

その秀秋は、宇喜多秀家や毛利勝永、明石全登らに襲われる幻を見て、怯えていました。

そして関ヶ原の戦いの2年後、自分のしたことの罪の重さに苛まれ、21歳で謎の死を遂げることに…。

おー、小早川秀秋ナレ死^^;

秀秋が裏切ったことを、信繁は今、且元との会話で知った様子でした。

ちょっとくらいは関ヶ原の戦い、特に秀秋が裏切った下りの説明はあるのではないかと思っていたので、ちょっと吃驚…。

秀秋が見た幻ですが、全員まだ生きています。

宇喜多秀家は、島津を頼って身を寄せるも、その後、八丈島に流罪になるらしいです。

毛利勝永、明石全登はその後、大坂の陣に参戦します。

茶々は…

「あの者とはまたいずれ会う気がします。いずれまた。」

そう言って笑いました。

大きな戦が起きたというのに、案ずる様子もなく。変わらない笑みを浮かべている。相変わらずとても美しいのですが、どこか普通じゃない、壊れている感じがします。現実というものが見えていない。いや、観ようとしていないのか…。

まあ、確かにいずれ会うことになるのですが…。

その押し花はきりに食べられました…。

大谷刑部の最期と石田三成の最期

大阪の真田屋敷に到着した信繁は、妻はると再会。

はるから大谷刑部の最期を聞かされます。

身体の不自由な刑部は輿で家臣たちに運ばれ、自害する場所を探していました。

そして程よい場所を見つけた刑部は、介錯する家臣に言いつけます。

「くれぐれもこの首を敵に渡すな。」

そして、実にすがすがしい表情で、目に涙をうっすらと浮かべて最後にこう言いました。

「治部、楽しかったぞ。」

そして、大谷刑部は自害して果てました。

その言いつけどおり、家臣によって刑部の首は地中深く埋められ、見つからなかったそうです。大谷隊は、寝返った小早川の大軍によって壊滅させられるんですよね、確か。

にもかかわらず、悔しいとか恨みの言葉を残すのではなく、親友に語りかけるという、とても素敵な最後でした。

「あの方はまことの武士であった。私もあのように生きたい。」

信繁ははるにそう言うのでした。

そして、石田三成の最期は意外な人物から聞かされることに。

それは加藤清正に連れられた、石田三成の妻うたでした。

「あの方の最期についてお話しするのが私の勤め。」

うたは三成の命令で、群衆に紛れ、夫の最期を見届け、そして三成を知る者にその最期を聞かせて回っていたのでした。

そしてあちこち回って、清正の元に身を寄せていたのです。

まさに死を迎えようとしていたその瞬間、三成はまっすぐに顔をあげ、その口元に笑みを浮かべました。

一切の後悔はない。そこに恨みや怯えといったマイナスの感情は一切見られませんでした。

すべてをやりきった、人生を精一杯最後まで生きた男の姿がそこにありました。

「あのお方は、豊臣家のことしか考えておりませんでした。」

天下の大罪人として裁かれ、打ち首にされても、ひたすらに豊臣家のことを考え続けたのが三成でした。きっと言い訳もせずに、一人で責めを負ったのだろう、三成の姿が目に浮かびます。一途で、しかし不器用な男でしたが、彼らしい最後でした。

福島正則は大阪城で信繁を睨み付けていましたが、清正には今もそういうとことはありませんね。

清正も東軍。関ヶ原の戦いの当時は自身の領地である熊本におり、九州の西軍を相手に戦っていました。が、

「佐吉のやつ」

その呼び方に、三成への親愛の情が残っているのを感じましたし、三成の奥方を匿っているのも三成への何かしらの情があるからだと思います。

そういえば、三成が佐和山に蟄居するときに清正にした耳打ちっていったいなんだったのでしょう?

清正は昌幸とそう変わらない時期に亡くなるようなので、もうあまり登場しないと思うのですが、来週当たり回収されるのでしょうか?それともうたを匿ったことがそうなのでしょうか?

唇の動きを読めないかと繰り返してみてみましたが、わかるはずもなかった…。

気になる~。

で、昌幸と信繁たちは九度山へ向かったのでありました。

来週の予告で、昌幸さんがやばい感じでした…。また一気に時間が流れる様子。九度山の生活が2~3週間続くと思っていたので、けっこうショック…。

大谷、石田に続き、昌幸との別れもそろそろのようです。加藤清正、本多忠勝、本多正信あたりもそろそろ退場の時期かと。

板部岡江雪斎が、予告に出てましたが。

えー、まだ出て来るんだ!びっくり…。まだ徳川の間者なのでしょうか。いろいろ暗躍するのでしょうか…。気になります。

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その他気になったこと。

すえとの別れ。

梅との間に生まれたすえは16歳の美しい娘に成長していました。

信繁はずっと離れて暮らしていたし、父らしいことをしてないから仕方ないんだけど。

これからは信幸を父と思いなさいという信幸に対し、

「私の父は一人でございます。作兵衛おじ上だけでございます。」

はっきり言われちゃいました^^;

薫との別れ。

久しぶりに大阪で昌幸に再会した薫。

「さみしゅうございました。」「悪かった。」「さみしゅうございました。」「悪かった。」

そう言って昌幸の膝枕で手を握り締めて甘えながら眠る薫。

何度も繰り返す姿が微笑ましく感じたのですが…。

なんと、薫は九度山には一緒には行かなかったのです…。

情緒不安で心身ともに弱っている薫は九度山で生活できないと思った昌幸の判断で、上田に返され、信之に託されることになったのです。

泣きながら目を覚ますと、夫と息子はもういない。

眠っている間に去った昌幸たちの想いも優しさだとわかりますが、寂しかったでしょうね。

もうこれが今生の別れになるのに違いないから…。

きり。

なかなか報われないきりの想い。

上田に戻ることもできるが、これからどうする?とそう聞かれて、きりは信繁に問い返す。

「源二郎様はどうしてほしいんですか?」

信繁の様子を伺うように、やや不安そうな表情だったのが印象的。こういう表情を見せることが少なかったもので。当然のように「行きますよ。」って言うんだと思ってた。

「私はできれば一緒に来てもらえると心強いんだが。」

という信繁の言葉に、「じゃあ、行くとしますか。」嬉しそうに答えるきり。

ずっと好きだった人に一緒に来てもらいたいって言われるとそれは嬉しいですよね。ここまではっきり言われるとは私も予想してなかったし、きっときりもそうだったのでしょうね。

あぁ、そろそろきりの想いも通じるのかなぁと思ったのですが、そんなことはなく。

薫が上田に帰ることが決まると、「帰っていいぞ。」と言われてしまう。

まあ、でも結局ついてゆくんですけどね^^;

この子、本当に側室になれるのかなぁ。はるも一緒に九度山に行くわけだし、ひとつ屋根の下で一緒に暮らすのは辛いものがありますよね。

回想シーンでも描かれることのなかった関ヶ原。

今週、ちらっとでも描かれるのかと思ってました。

大谷刑部を演じた片岡愛之助さんも、台本を見てロケがないことを知ってびっくりしたとか。

びっくりしたけど、当時としてはこういう感覚なのかも。

今みたいに誰かが撮ったスクープ映像が残っているはずもなし。断片的にしか情報はもたらされず、詳細はわかりようがないですもんね^^;

次の記事>>『真田丸』第38話「昌幸」/さらば、昌幸。それ以外にもナレ死が相次ぐ。

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