真田丸

『真田丸』第40話「幸村」/信繁から幸村へ。且元の辛い日々が語られ、様々な人の言葉が信繁を動かす。

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昌幸の死後も信繁が赦免されることはなかったが、信繁は村の暮らしの中に穏やかな幸せを見出してもいました。真田紐の商いによって、久しぶりにごちそうが並んだ夜、信繁の元にある男が訪ねてくる。

男の名は明石全登。宇喜多秀家の家臣だった男。明石は信繁を迎えに来たという。

 

 

明石は、信繁に大阪城に入り、将として兵を率いて戦ってほしいという。

敵は徳川家康。九度山に幽閉中の身の信繁には、世間の状況は伝わってきておらず、徳川と豊臣の関係がそこまで悪化しているとは知らなかった。

信繁は明石の誘いを即答で断るが、明石は会ってほしい人がいると言う。

そこにいたのは、片桐且元でした。

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『真田丸』第40話感想

片桐且元の胃が痛い日々…。

やはり関ヶ原の戦いから10年以上の時が流れ、年を重ねたように見えましたが、相変わらずの人のよさそうな顔。

疲れた顔をしていましたが、久しぶりに信繁に会えて、嬉しそうな笑顔を見せます。

且元は関ヶ原の戦いで石田三成らがあのようなことになって以来のことを信繁に話し始めます。且元は大変、胃の痛い日々を送っていたのです。

加藤清正も亡くなり、豊臣恩顧の者の中で秀頼のそばにいるのはもう且元ひとりになっていました。

先ず問題になったのは「方広寺の鐘に刻まれた銘文」ついての家康からのクレーム。

いわゆる「方広寺鐘事件」。

方広寺の鐘に刻まれた銘文に「君臣豊楽」「国家安康」の文字が入っており、

「国家安康」=家康の名前を二つに割っている。これは家康への呪詛に違いない。

「君臣豊楽」=豊臣の名前を逆にしている。これは呪詛返しを行って、祝いとした。

というものでした。

はぁ??何それ?っていう、完璧にただの“いちゃもん”“言いがかり”です。

小学校の時に授業で習いましたけれど、小学生でも「は??」って思いましたよ(笑)

事前に草案を見せてきちんと了解を得て、鐘が出来上がってから言いがかりをつけてくる。

豊臣方を挑発し、戦を仕掛けるきっかけにしようとしているのです。

そもそも方広寺の大仏殿建立は、元々秀吉が行っていたもので、地震により中断されたままだったところを、再開するように勧めたのは家康。

死者を弔うのは大事なことだから、神社や寺をたくさん作るがよいと。

しかし、家康の真の狙いは、豊臣家にお金を使わせ、力を削ぐことにありました。

信繁はすぐに見抜いたのに、且元は家康の言葉をまっすぐに受け取ってしまう素直さ。誠実で人のいい且元には、そんな風に策を弄してくる人間を相手にするのはちょっと荷が重かったんだなぁ…。

徳川が鐘の銘文に問題があると言っている以上、鐘は作り直し、大仏開眼は日延べするしかない。

しかし、この頃、大阪では大蔵卿局の息子である大野治長が力を持つようになっていて。

まあ、これが実に小物感にあふれる感じの悪い男なんだ。

現実が見えてないのですね。

徳川と豊臣では圧倒的に力があるのは徳川であり、豊臣家にはかつてのような力はもうないということをわかっていない…。

徳川に逆らっては豊臣が危ういということを全然わかっていない…。

それは大蔵卿局も茶々も同じこと。

5年がかりで進めてきた方広寺の大仏殿建立は秀吉の、そしてその意を継いだ秀頼の悲願であり、それを叶えさせてやりたいと。

そんなこと言ってる場合じゃないんですってヽ(#`Д´)ノ

で、且元は「会って話せばわかってくれるでしょう。」ということで、家康を説き伏せるべく駿府に向かわせられる。

胃が痛そうな、且元が気の毒で、気の毒で(ノд・。) グスン

家康の策に翻弄されて…。

駿府で、本多正純相手に必死に申し開きをするも、正純は一切聞く耳を持たない。大御所様に会わせてほしいと1ヶ月以上駿府に滞在して願い続けても、叶わず…。

結局、家康に会えぬまま、大阪に帰る途中で、且元は衝撃的な事実を知る。

自分が駿府に滞在していたちょうど同じ時に、大蔵卿局も駿府に滞在しており、大蔵卿局はすんなり家康に会えたのだという。

そして、家康は大蔵卿局に対して手厚い態度で「わかっているから。心配はいらない。」とまで言ったというのだ。

「役に立たない。」と大蔵卿局に強く叱責された且元は、自分が本多正純から聞いた話とは食い違っており、家康の怒りは大変深く、正純からは3か条の条件を突き付けられたことを話す。

3か条の条件とは…。

・秀頼は伊勢か大和に国替。

・御上様(茶々)を江戸に人質に送る。

・秀頼は諸大名と同じように江戸に参勤する。

豊臣方には到底飲むことの出来ない屈辱的な条件でした。

しかし、実は何とその条件は徳川方から提示された条件ではなく、且元自身が考えたものでした。

どうしてそんな且元は嘘をついたのか?

大蔵卿局に自分の必死の働きを否定されることを言われ、憎らしく思ったことも確かでありますが、しかし、徳川の怒りの大きさを考えると豊臣家が生きのびるためにはそのくらいのことをせねば許されない、と。

何とか豊臣家と秀頼を守りたいという、長年豊臣家に尽くしてきた且元の必死の思いから考えたことでした。

しかし、大蔵卿局や大野治長からは徳川との内通を疑われ、秀頼には悲しそうな目で見られ…。

確かに家康と渡り合うには力不足だったかもしれませんが、且元は多くの者たちが豊臣を離れてゆく中で、最後の最後まで豊臣に尽くした人物。

仲間であるはずの豊臣方の人間からこのような仕打ちを受けるのはあまりに気の毒。

さらに追い打ちをかける、茶々の言葉…。

「且元はそんなことはしません。私は且元のことをよく知っています。」

と、いったん上げるようなことを言ってから(且元も嬉しそうな顔を見せてから…。)

「この者には策を立てるような度胸も知恵もない。悪く聞こえたらあいすまぬ。」

と。この時の且元の表情が切なすぎて(´Д⊂)

いくらなんでもひどすぎますよ、そんなこと…。

ショックだっただろうなぁ…。

茶々が大阪に来るずっと前から、秀吉に仕えてきたのに…。

大野治長に裏切り者と見なされ、命を狙われる羽目になった且元はとうとう大阪城を追われることになります。

城を去るときに、且元が見上げたのはその天守閣。

そして石田三成が秀頼に献上した桃の木でした。

苗木だった桃の木は、いつの間にか立派な実をいくつも実らせるほどに成長していました。三成が蟄居になった後、その桃の木の世話を一生懸命にしていた且元を思い出します。

さらに物事は悪い方向に展開してゆきます。

且元が大阪を追われたことにより、徳川と豊臣の取次役がいなくなり、それを手切れと見なされたのです…。

家康は豊臣を攻めることを決断。それらはすべて、家康の狙い通りでした。

「儂が戦の火種を作ってしまった。」

「儂は大阪城に戻ることはできぬ。どうか大阪に入って豊臣のために戦ってほしい。」

そう言って頭を下げる且元に、信繁は改めて大阪に行くつもりがないことを伝えます。

きりがかっこよすぎて

大阪入りを断ったものの、くすぶる思いを抱いた様子の信繁にきりが近づく。

「行きなさいよ。あなたは行きたいと思っている。だったら行くしかないでしょう?」

「ここで一生を終えたいの?それでいいの?あなたは何のために生まれてきたの?今まで何をしてきたの?何を残したの?」

信繁の想いを代弁するように問いかける。

そして、

「私が大好きだった源次郎様はどこに行ったのよ。私が胸を焦がして大阪までついていった源次郎様はどこに行ったのよ!」とまで、言うヾ(=^▽^=)ノ

きりは信繁の心はすべてお見通しなんだなぁ。

自分に気がないっていうところは見通せてなかったけれども、信繁をそばで見てきて、誰よりも信繁のことを理解してたんだなぁ、と、その思いの深さに、感動さえしてしまった。

あまりに図星を差されすぎたか、思わず反発しつつも、信繁はきりの言葉で、もう一度真摯に自分の心の声に耳を傾けることになる。

男女の関係としては成就しなかったかもしれないけれど、正室の春ではなく、他の誰の言葉でもなく、きりの言葉が信繁を動かしたのだから、きりは本当にすごい…。

頭に思い浮かぶ様々な人たち

信繁の脳裏に今まで出会った様々な人の言葉が頭に思い浮かぶ。

真田の里で、越後で、小田原で、上田で、大阪で…。

多くの人と出会い、多くの人熱い想いに触れてきたことが、次々に脳裏に浮かんでゆく。

今までの総集編とも言えるすばらしいシーンが勢ぞろいでした。

今までの道のりと、亡くなっていった人々のことを思うと涙が出てきてしまった。

おばば様の最後の言葉。

「人は誰もさだめを持って生まれてくる。おのがさだめに気付くか。気づかぬか。」

昌幸さんの死の間際の言葉。

「徳川と豊臣がぶつかったら、お前はここを抜け出して豊臣に付け。」

茶々の意味ありげな言葉。

「あなたは必ず私のところに戻ってくる。そして私たちは、同じ日に死ぬの。」

「秀頼を頼む。」と言い続けて死んでいった秀吉。

そして鳴り響くのは、その秀吉が人を呼ぶために使っていた小さな呼び鈴の鈴の音。

今までの名セリフの数々、そして何気ないと思っていた一言でさえも、ここにこんな風に繋がってくるなんて。三谷幸喜さんの脚本の素晴らしさに、ただただ驚きと感動を覚えました。

そして幸村へ

想いを定めたらしい幸村は嫡男大助を呼び、くじを引かせます。

壺の中には、様々な文字が書かれた紙が入っており、そこから大助が引いた文字を、兄・信之が捨てた「幸」の字と組み合わせて、新しい名前を決めようと言うもの。

「そのように大事なことをくじで決めてよろしいのですか?」と、驚く大助に、

「父は八百万の神に託したのだ。」と答える信繁。

親子だねぇ。かつて、昌幸と同じやりとりとしていましたよね(*´∇`*)

そして、大助が引いた一文字は「村」

それは九度山村の「村」でした。

信之が捨てざるを得なかった、昌幸の「幸」。真田家に受け継がれてきた大切な一字を受け継ぎ、真田信繁は真田幸村となったのでありました。

収まるべきものがすべて収まるべきところに収まったという感じの回でした。

過去のあのシーンをこんな風に、ここに持ってくるのか、と。脚本の素晴らしさに唸らせられるばかりでした。

信繁改め、幸村の回想シーンは涙なしには見られませんでした。゚(゚´Д`゚)゜。ウァァァン

明日、録画をもう一度見ようっと。

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その他気になったこと。

九度山脱出の日

信繁が九度山村を脱出して大阪に向かった日と伝わるのが10月9日。なんと今日!

旧暦の差はあれど、この偶然、なんかすごいヾ(=^▽^=)ノ

なんとか官兵衛

きりが信繁に語った言葉の一つに登場しました。

「氏政様を説き伏せるために小田原城へ忍び込んだみたいですけれど、氏政様がお城を明け渡したのはあなたの力ではないですから。あとから会いに行った「なんとか官兵衛さま」のお手柄ですから。」

「なんとか官兵衛」これは黒田官兵衛のことですよね。

はいはい。確かに二年前の大河ドラマでそのシーンありました。

「生きられよ!!」って、単身で小田原城に官兵衛が乗り込んで、氏政らを説得するんですよね。大好きなシーンでした。

今年の大河の描き方だと、信繁が説得して氏政がそれに応じたように見えましたが、実はそうではありませんでした。ということがさらっと明かされました。

きりの洞察力

きりの信繁の心を見抜いてしまう洞察力と思いの強さがすごいけど、10年以上前に数回細川家で見かけただけの明石全登をあの暗闇で、見分けてしまうなんて、何者?

宇喜多秀家のその後

以前、且元の口から「行方知れず」とだけ語られ、その後一切の説明がなかった宇喜多秀家が八丈島に流されていたことも今回明らかに。

宇喜多秀家は八丈島で84歳まで生き、1655年に亡くなったそうです。関ヶ原を戦った大名の中では最も遅くに亡くなった人物だそうです。

毛利勝永役で岡本健一さんが出演されてますが、男闘呼組メンバーの共演は小早川秀秋の幻覚シーンだけでしたね^^;

桃の木

石田三成の桃の木が何回も映されるので、そのたびにじーんと(ノд・。) グスン

且元が一人でいた、あの書庫。あそこはかつて、石田三成と大谷吉継が仕事をしていた場所だよね。もう誰もいないんだなと思うと、またしてもじーんと(ノд・。) グスン

今からこんなに涙がうるうるになってしまうのでは、最終回、信繁の最期のシーンで、どれだけ泣くことになるのか…。


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