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大阪『真田丸』紀行③大坂の陣で家康と真田信繁が布陣した茶臼山を訪ねて

真田丸跡~大坂城に続き、次は茶臼山へ向かいました。

最寄駅は天王寺駅です。茶臼山は天王寺公園の中にあります。動物園も近いせいか、家族連れの姿も見えました。

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茶臼山とは

茶臼山は「茶臼山古墳」という大阪府指定史跡の前方後円墳です。誰が葬られているかはわかっていません。「山」というほどの高さはなく、木がこんもりとした小高い丘のような場所です。一見するとなんでもない場所ですが、この場所は歴史上、非常に有名な出来事の舞台になりました。

「大坂の陣」です。

大坂の陣は「大坂冬の陣(1614年)」「大坂夏の陣(1615年」と二度に渡って徳川軍と豊臣軍が戦った大きな戦です。茶臼山には冬の陣の際に徳川家康が、夏の陣の際には真田信繁(幸村)が布陣したと伝わります。世に言う「茶臼山の戦い(天王寺口の戦い)」の舞台となったわけです。

冬の陣ではこの場所から徳川家康が大坂城に向って戦いを挑み、夏の陣ではその逆、大坂城を背に、真田信繁が徳川家康に最後の戦いを挑みました。

400年前。この場所に、家康と信繁が確かにいたのです。そう思うと、身震いするような感慨深さを感じました。

現在の茶臼山の風景

こんな風に、石碑が建っています。

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「冬の陣 徳川家康本陣跡」

「夏の陣 真田幸村本陣跡」

石碑にはこのように文字が刻まれています。

大坂の夏の陣でかつて栄華を誇った豊臣家は滅亡し、完全に徳川の世となります。それは長い戦国時代の終焉でありました。

茶臼山の風景はこんな感じです。

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今は何もありません。木が鬱蒼と茂っており、陽があまり差し込みません。そのせいでしょうか。どこか物寂しい雰囲気が漂い、心なしか気温も低く感じます。

信繁は何を思って、この場所に立ったのでしょう?

故郷の上田が頭に浮かんだかもしれません。敵味方に別れてしまった兄のこと、九度山で無念の死を迎えた父のことも考えたに違いありません。

様々な思いを巡らせた後、この場所から、真田信繁は最後の戦いに出陣しました。彼は死を覚悟しながらも、最後まで諦めませんでした。味方が次々失われている圧倒的な不利な戦況の中で、ただ一人徳川家康その人を目指して駆けました。「武田の赤備え」と呼ばれる真っ赤な鎧を身にまとって。

ドラマの影響でしょうか。ここにも六文銭ののぼりが立てられており、写真撮影をする観光客の姿もちらほらと見られました。私がこの場所を訪れたのは9月なので、そうでもなかったのですが、ドラマがクライマックスに差し掛かっている頃はおそらく多くの観光客でにぎわうことになるのでしょうね。

注意
かなり木が茂っているので、蚊がひじょうに多いです。虫よけ等の対策を必ずしてください!

この近くに、戦で傷ついた信繁が最期を迎えたと言われる「安居神社」があります。次は「安居神社」に向かいます。

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茶臼山へのアクセス

【住所】所在/大阪市天王寺区茶臼山町1-108(天王寺公園内にあります。)

【最寄駅】JR天王寺駅、地下鉄谷町線天王寺駅より徒歩15分

次は堀越神社へ向かいます。一生に一度だけ、願いを聞いてくれる神様。えー一度と言わずに何度でも聞いてほしい!なんて、わがまま言ってはなりません(笑)

次の記事へ>>>大阪『真田丸』紀行④堀越神社。一生に一度の願いを願いを聞いてくれる神様。

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