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大阪『真田丸』紀行①大河ドラマを観ていたら行ってみたくなった。大阪・真田丸跡を訪ねて。

2016年度のNHK大河ドラマ『真田丸』を毎週欠かさず観ていました。

タイトルにもなっている「真田丸」とは、大坂の陣の際に真田信繁(幸村)が築いた出城のこと。

関ヶ原の戦いで父とともに豊臣方についた真田信繁は、戦いに勝利した徳川家康によって父・昌幸とともに和歌山県の高野山のふもとにある九度山村にに幽閉されてしまいます。

昌幸は二度を故郷に戻ることはなく九度山で亡くなり、信繁は大坂の陣の際に豊臣家からの要請を受け、大坂城に入ります。

大坂城は石山本願寺の跡地に、豊臣秀吉が築いた難攻不落の城でしたが、城の南方の防御に弱点がありました。

大坂城の周辺は淀川や大和川等の川が流れ、天然の堀となって攻め込むのが非常に困難だったのですが、大坂城の南側だけが地続きでした。「徳川が攻めて来るならばそこからだろう。」と見抜いた信繁により、城の南側に真田丸が築かれました。

今回はその跡地を訪ねます。

真田丸は大坂冬の陣の後、徳川方に破却されてしまい詳細はわからないそうですが、天王寺区餌差(えさし)町の大阪明星学園のあるあたりに存在したであろうと言われています。

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いざ、真田丸へ。

真田丸跡地へのアクセス

最寄駅:JR大阪環状線外回り・玉造駅  (もしくは地下鉄・長堀鶴見緑地線玉造駅)

駅がすっかり「真田丸モード」です。看板が出ていますので、見落とさないように歩いていきましょう。

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玉造商店街は通称「真田ロード」

「真田ロード」こと玉造商店街を抜けてゆきます。あちらこちらに真田丸に関連するのぼりやポスターがあります。

観光客らしき人もちらほら見かけました。私が真田丸跡地を訪れたのは、2016年9月。ドラマではまだ「真田丸」は登場していない時期でしたが、放送で登場した後は、きっともっと混雑したでしょう。

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商店街を抜けていくと、そこからは住宅街に入ります。

その先にも看板は出ていますが、もしわからなかったら、制服姿の生徒さんたちが歩いてくる方向へ行けばまず大丈夫です。真田丸跡地は現在学校になっていますので。

三光神社

駅から10分ほどで、最初の目的地につきます。宰相山公園に隣接する三光神社です。

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このあたりも「真田丸」の跡地だと考えられています。六文銭ののぼりが立ち、露店が出ていました。

住宅街の中にある静かな場所ですが、今から約400年前、ここで、命をかけて戦った男たちがいたのです。

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少し奥に進みますと…。

「真田幸村公像」

真田幸村の銅像が立っています。

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戦の指揮を執っている様子でしょうか?勇ましい武士姿です。堺正人さんにはあまり似てない?ですね(笑)

▼ このあたりは出城を模しているらしい。戦の雰囲気が感じられます。

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「真田の抜穴跡」

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鉄格子がはめられていて、中に入ることはできません。

扉にも「六文銭」が見られます。

抜穴はすでに閉じられているのですが、大坂城に通じていたとも伝わっています。本当に通じていたのかは謎。上田城の真田井戸も抜け道だったと伝わっています。きっと真田が忍者を使っていたとされることからそんな噂が出たのでしょう。

参考記事>>>長野県上田旅行記~『真田丸』に縁ある土地巡りと別所温泉③真田神社と真田井戸。そして真田十勇士に想いを馳せる。 

思いもよらぬ奇策で敵を翻弄し続けた真田一族なら、抜穴くらい作るだろう。そんな発想かもしれません。

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 心眼寺

三光神社から5分ほど歩いた場所に心眼寺があります。元和8年白牟(はくむ)和尚によって、真田信繁と嫡男・大助を弔うために建立された寺です。

大助は九度山で蟄居中に大谷吉継の娘との間に生まれました。父に従い大坂城に入城し、大坂の陣で討ち死にしたと伝わります。

心眼寺のあたりも「真田丸」の一部だと伝わっています。

▼『真田幸村出丸城跡』の石碑と像があります。六文銭も。

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▼お寺の境内に入りますと、真田信繁のお墓がありました。

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このお墓は大坂冬の陣から400年にあたる2014年10月に建てられました。「従五位下」は豊臣秀吉から授けられた官位です。

▼心眼寺付近の風景です。

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心眼寺の目の前には大阪明星学園の校庭があります。

写真からわかりますでしょうか。 かなり急な坂道になっているんですよね~。高低差があります。こういった元々の地形を生かして真田丸を築いたのでしょう。大坂城の弱点を見抜く目といい、信繁は城作りの名手であったと伝わる父・昌幸の血を引いているようです。

真田丸跡地と真田丸顕彰碑

さて、心眼寺の向かいにあるのが大阪明星学園。ここが真田丸のあった場所です。

今は学校になっているんですね。ドラマの放送が始まり、きっと生徒さんたちも誇らしい気持ちでしょう。

▼校庭の前に記念碑がありました。

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校舎の壁にはこんな絵が。生徒さんが描かれたのでしょうか?戦国武者のりりしさと勇ましさが感じられますね。

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以上、真田丸跡地でした。

次は大坂城へ向かいます。大きさにびっくり、新事実に驚愕!でした。

次の記事へ>>>大阪『真田丸』紀行②豊臣家が滅亡した大坂城へ。あまりの広さに圧倒される。

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